涼しい僕たちは扇風機を使う

扇風機が生み出す風とカルチャーを探求しています。

扇風機じいちゃん~高齢者の熱中症リスク~

time 2025/08/09

テレビの画面に真っ赤な日本列島が映し出されていた。気象予報士の女性が深刻な表情で話している。

「本日も各地で危険な暑さが続いています。関東地方では14か所で40度を超える気温を観測しました。熱中症による救急搬送が相次いでおり、不要不急の外出は控え、室内では必ずエアコンを使用してください」

私はリモコンでテレビを消すと、携帯電話を手に取った。画面には「おじいちゃん」の文字。コール音が響く。

「もしもし?」

「おじいちゃん、私だよ。今日もすごく暑いけど、大丈夫?ちゃんとエアコン使ってる?」

「ああ、大丈夫、大丈夫。扇風機をかけてるから」

また同じ答えだった。この一週間、毎日電話をかけているが、おじいちゃんの答えはいつも同じ。扇風機をかけているから大丈夫、の一点張りだ。

「でも、扇風機だけじゃダメだよ。この暑さじゃ、熱風が回るだけで余計に危険なの。エアコンも一緒に使わなきゃ」

「いやいや、大丈夫だって。大型の扇風機を使ってるから、涼しいもんだよ」

大型の扇風機?おじいちゃんの小さな家に、そんな大きな扇風機があっただろうか。去年の夏に泊まりに行った時は、古い小さな扇風機が一台あっただけだったはずだ。

「おじいちゃん、本当に大丈夫?体調悪くない?」

「元気だよ、元気。心配しなくていいから」

電話を切った後も、胸の奥にもやもやとした不安が残った。最近、おじいちゃんの様子が少しおかしい気がする。物忘れが増えたような気もするし、もしかして認知機能が低下してきているのかもしれない。こんな猛暑の中で、もしもの事があったら……。

私は決心した。明日の朝一番に、おじいちゃんの様子を見に行こう。

 
 

翌日の朝、私はおじいちゃんの家へ向かった。電車の中でも、外を歩いている時も、既に汗が噴き出してくる。まだ午前中だというのに、アスファルトから立ち上る熱気が足を直撃する。

「おじいちゃん、私だよー」

玄関で声をかけると、奥から慌てたような足音が聞こえてきた。

「おお、来たのか。暑い中、ご苦労さん」

おじいちゃんは汗をうっすらとかいていたが、思ったよりも元気そうに見えた。いつものように、少し照れたような笑顔を浮かべている。

「上がらせてもらうね」

居間に入った瞬間、私は愕然とした。エアコンのリモコンを見ると、電源が入っていない。部屋を見回しても、扇風機の姿は見えない。それなのに、おじいちゃんは汗をかいてはいるものの、暑くてしんどそうという印象は全く受けない。

「おじいちゃん、エアコン付けなよ。この部屋、すごく暑いよ」

「大丈夫、大丈夫。扇風機をかけてるから」

私は部屋をもう一度見回した。「どこに?扇風機、見えないけど……」

「ちゃんとかけてるよ。大型のやつをね」

おじいちゃんの表情は至って真面目だった。冗談を言っているようには見えない。でも、どこを探しても扇風機なんてない。物置部屋も覗いてみたが、去年見た古い小型の扇風機すら見当たらない。

私は内心、やはり認知機能に問題が起きているのではないかと心配になった。現実にないものが見えているのか、それとも記憶が曖昧になっているのか。

「おじいちゃん、本当にどこにも扇風機ないよ。一緒に探してみない?」

「あるよ、ちゃんと。風も出てるでしょ?」

確かに、微かに風のようなものを感じる気がしたが、それは気のせいだろう。この密閉された暑い部屋で、風なんて吹くはずがない。

私は困り果てた。どう説得すればいいのだろう。このままでは、本当に熱中症で倒れてしまう。

 
 

その時、玄関の方から子どもたちの声が聞こえてきた。

「じいちゃーん、遊ぼうよー」

「ねえ、扇風機じいちゃん、いる?」

扇風機じいちゃん?私は耳を疑った。

おじいちゃんは嬉しそうに立ち上がった。「おお、来たか。上がっておいで」

玄関に三人の小学生がやってきた。近所の子たちらしい。みんな汗だくで、学校帰りなのか、ランドセルを背負っている。

「こんにちは」と、私が挨拶すると、一人の男の子が首を傾げた。

「あ、じいちゃんのお孫さんですか?」

「そうだよ」

「じいちゃん、今日も涼しいね。いいなあ、扇風機じいちゃんの家は」

扇風機じいちゃん。また、その呼び方だった。私は男の子に聞いてみた。

「扇風機じいちゃんって、なんで そう呼ぶの?」

子どもたちは顔を見合わせて、クスクスと笑った。

「だって、じいちゃんは扇風機じゃん」

「知らないの?じいちゃん、扇風機になったんだよ」

何を言っているのか、さっぱりわからない。子どもたちの想像遊びだろうか。でも、なぜかおじいちゃんも嬉しそうに笑っている。

「みんな、内緒って約束だったでしょ?」と、おじいちゃんが言った。

「あ、そうだった。ごめん、じいちゃん」

子どもたちは慌てたように口を手で押さえたが、もう遅い。私は完全に置いてけぼりだった。何が内緒なのか、何の話をしているのか、全くわからない。

 
 

「まあ、せっかく孫が来てくれたんだし、教えてやろうかな」

おじいちゃんは少し考えるような顔をした後、そう言った。子どもたちは目を輝かせている。

「本当?見せてくれる?」

「ああ、でも内緒だぞ。約束だ」

私は訳がわからないまま、その場に立っていた。おじいちゃんは私の方を向いて、いたずらっぽく笑った。

「実はな、7月の終わり頃に、宇宙に運ばれたんだ」

「宇宙?」

「そうそう。夜中に、突然光に包まれてな。気がついたら宇宙船の中にいた。そこで、扇風機の機能を埋め込まれたんだよ」

私は呆気にとられた。まさか、そんな突拍子もない話をするとは思わなかった。やはり認知症の症状なのだろうか。でも、話し方はしっかりしているし、論理的におかしいというわけでもない。

「それで、この通り」

おじいちゃんは、おもむろに襦袢の裾を持ち上げた。

「ちょっと、おじいちゃん!」

私は慌てて止めようとしたが、もう遅かった。おじいちゃんのお腹が露わになった瞬間、私は声を失った。

そこには、確かに扇風機の羽根があった。しかも、鮮やかなオレンジ色をした、明らかに業務用の大型扇風機の羽根が、おじいちゃんのお腹のど真ん中に埋め込まれていたのだ。

羽根は静かに回転していて、確かに涼しい風が発生していた。まるで、扇風機付きのジャンパーを着ているような感じだが、それが体に内蔵されている。

「どう?すごいでしょ?」

おじいちゃんは得意げに胸を張った。子どもたちも「すごーい!」と拍手している。

私は現実を受け入れるのに時間がかかった。これは夢なのだろうか。それとも、私も熱中症で幻覚を見ているのだろうか。

でも、確かに風は感じる。涼しい風が、おじいちゃんのお腹から吹き出している。部屋の中が涼しかったのも、これが理由だったのだ。

「宇宙人は、地球の猛暑を心配してくれてるんだってよ。特に、お年寄りの熱中症をね。だから、こうやって改造してくれたんだ」

おじいちゃんの説明は淡々としていて、まるで天気予報を聞いているようだった。

「で、でも……」

私はまだ信じられずにいたが、目の前の現実は否定できない。確かに扇風機の羽根があり、確かに風が出ている。それも、業務用レベルの強力な風が。

「だから言ったでしょ?大型の扇風機を使ってるって」

おじいちゃんはにこにこしながら襦袢を元に戻した。

 
 

しばらく呆然としていた私だが、ふと気づいた。これで全ての謎が解けた。おじいちゃんが暑がっていなかったのも、大型扇風機があると言っていたのも、すべて本当だったのだ。

「じゃあ、みんなでやってみよう」

一人の女の子が提案した。

「何を?」

「扇風機に向かって『あー』って言うの。声が変わって面白いよ」

子どもたちは嬉しそうにおじいちゃんの前に並んだ。私も、なぜか自然とその輪に加わっていた。

「せーの」

おじいちゃんが襦袢をまくり上げると、再びオレンジ色の羽根が現れた。回転する羽根に向かって、みんなで声を合わせた。

「あーーーー」

私たちの声は、扇風機の羽根によって震え、変調され、まるでロボットのような面白い音になって部屋中に響いた。子どもたちは大笑いし、おじいちゃんも嬉しそうに笑っていた。

そして私も、いつの間にか笑っていた。

「あーーーー」

この異常な状況を、なぜか自然に受け入れている自分がいた。猛暑という現実的な問題に対する、なんとも非現実的な解決策。でも、おじいちゃんは元気で、涼しくて、何より楽しそうだ。

それで十分なのかもしれない。

「あーーーー」

あとがき

この物語は、フィクションです。残念ながら、宇宙人が高齢者に扇風機機能を埋め込んでくれるということはありません。
しかし、物語の背景にある猛暑と高齢者の熱中症リスクは、現実の深刻な問題です。
毎年夏になると、熱中症による救急搬送のニュースが後を絶ちません。特に高齢者は、体温調節機能の低下や暑さを感じにくくなることから、熱中症のリスクが高くなります。また、「エアコンは贅沢」「扇風機だけで十分」といった価値観や、電気代への心配から、適切な冷房を使わない方も少なくありません。
高齢者の熱中症を防ぐために、私たちができることがあります。
まず、こまめな声かけです。離れて暮らす高齢の家族には、暑い日は特に電話をして体調を確認しましょう。「大丈夫」という返事でも、実際に様子を見に行くことが大切です。
次に、適切な環境づくりのサポートです。エアコンの使い方を一緒に確認したり、電気代の心配があれば「健康のための必要経費」だと伝えたりすることも重要です。室温は28度を目安に、湿度も考慮して調整しましょう。
そして、水分補給の習慣づけです。のどが渇く前に、こまめに水分を取る習慣を身につけてもらいましょう。
この物語のおじいちゃんには宇宙人の助けがありましたが、現実の世界では、私たち家族や地域の人たちがその役割を担う必要があります。大切な人を熱中症から守るために、日頃からの気配りと準備を心がけたいものです。

 
大型扇風機 レンタル

扇風機を題材にした小説・エッセイ