2024/12/18
「どうやら始まったようだ。何がって? 大型扇風機の需要がだよ」
Mr.ニヒルは、にやりと笑っていった。
その笑みの奥には、誰にも知られていない使命感と、そしてほんの少しの誇りが宿っていた。彼は、街でも評判の風送屋――つまり、大型扇風機の移動設置を専門とする、ちょっと風変わりな職人だった。
今年の夏は異常だった。街全体がまるでフライパンの上に置かれた餅のように、じりじりと焦げついていた。アスファルトは歪み、蝉はやる気をなくして昼から黙りこくっていた。
そんなとき、風送屋Mr.ニヒルの出番がやってきたのだ。
彼の愛機「ゼファー1号」は、まるで飛行機のプロペラのような羽を持ち、音はうるさいが風は優しい。その巨大な風を求めて、広場、商店街、学校、病院まで、ありとあらゆる場所から出動依頼が殺到した。
特に、街のはずれにある「ひだまり保育園」からの依頼は、彼の心に火をつけた。
「子どもたちが、あまりに暑くて泣き止まないんです。どうか…あの風を!」
保育士の若い女性が涙ぐみながら電話越しに言った。
Mr.ニヒルは黙って電話を切り、ゼファー1号の起動ボタンを押した。機体が震え、風の準備が始まる。
保育園に着いたとき、子どもたちはぐったりしていた。小さなうちわで懸命にあおぐ先生たちの姿が、彼の心を動かした。
「さあ、そいつを食らいな……”真夏の救世主”の風をな!」
ゼファー1号が唸り声を上げ、空気を切り裂く音と共に、冷たい風が一気に園庭に広がった。
「わあああああ!」
子どもたちの目が輝き、キャーキャーと走り回る。風が彼らの髪を、シャボン玉を、笑い声を運んでいく。保育士たちも、思わず笑って手を広げた。
Mr.ニヒルは、その様子をしばらく見つめ、帽子を深くかぶり直した。
「また一つ、風の恩返し完了ってとこか」
その日の夜、街の掲示板には子どもたちからの絵が何枚も貼られた。真ん中には、大きな扇風機と、その隣に立つ無口なヒーローの姿。
「風のおじちゃん、ありがとう!」
そう書かれていた。
Mr.ニヒルは、誰も見ていない倉庫の隅で、そっと笑った。
そして、次の依頼先へと、風を背にして歩き出した。
――この街には、まだまだ風が必要だ。
Mr.ニヒルという名前には、皮肉や冷たさの裏にある“あたたかさ”というギャップを込めています。彼が届けたのは、単なる風ではなく、人を笑顔に変える「思いやり」そのものだったのかもしれません。
そして、大型扇風機はただの機械ではなく、想いを運ぶ“翼”のような存在として描いています。
いつか、あなたの街にも、風を届けるMr.ニヒルが現れるかもしれません。
そのときは、帽子の奥のにやりとした笑みを見逃さないでください。